Vol.02 高水健司さん(大仏さん) 『チャックの音は進化もしているし、個性も失ってない。音も生き生きしているしね。』
第二回目のゲストは、自他共に認めるチャック・レイニーの大ファンだと言う、高水健司さん(大仏さん)をお迎えしました。
2014 1/23@リットーミュージック
プロのベーシストになった頃の高水健司さんと、その後のキャリア。
1951年3月29日。神戸生まれ。高校2年の頃から楽器を持つようになる。1970年、19才の時に先輩からバンドに誘われ、ハコバンの仕事を始める。同じ頃、大阪で制作される劇版やCM等、TV音楽の仕事に誘われる。ザ・ピーナッツの育ての親、宮川泰(みやがわ ひろし)先生の弟さんがドラマー兼、音楽制作を大阪でされており、その縁でスタジオの仕事をするようになる。「命の母A」「ソフト99」のCM等でベースを弾く。
スタジオミュージシャンという仕事が好きになり、自分の全エネルギーを注ぎ込む。朝10から大阪で唯一あったアバスタジオで、南安雄アレンジの元、劇版やCMの録音を行う。昼からはTVのワイドショーの仕事をこなし、再びスタジオに戻り続きを録音。夜になるとChicagoやMotownや当時の流行の曲を、大阪北新地のハコバンで演奏する。そこで村上ポンタ秀一と出会う。夜中は他の店に移動してロックを演奏していた。(70年当時の新譜を聞き、翌日にはスタジオの仕事に取り入れていたそうです。凄まじく聞こえる毎日ですが、とても楽しかったとも仰っていました。)
72年前半までは、村上ポンタ秀一と一緒にハコバンの仕事をしていたが、彼が大村憲司の誘いにより「赤い鳥」に加入する事となり東京へ向かう。その後も自身は、神戸でスタジオとライブの生活が暫く続く。
73年、サックスとアレンジャーの古谷充 (たかし)と一緒に、関西で有名なテレビ番組「ヤングおー!おー!」にバンドで出演。各地での収録にも同行する。73年に「赤い鳥」が分裂すると、五輪真 弓のバックバンドを大村憲司、村上ポンタ秀一が受け持つ事となり、大村健司の誘いによりこのバンドに参加する。同年10月、名古屋での「ヤングおー! おー!」収録を最後とし、東京へ向かう。五輪真弓と渋谷ジャンジャンで初ライブの収録を行う。「冬ざれた街(74)」メンバーは大村憲司、高水健司、村上 秀一。ゲストに深町純、村岡健。
74年に、ピアノの市川秀男トリオに参加。彼の紹介で東京でのスタジオ仕事が始まると、あっと言う間に超売れっ子のベーシストとなる。また同時に、都内にあるライブハウスにも数多く出演するようになる(新宿タロー、高円寺アズスーンアズ、六本木ミンゴスムジコ、銀座ジャンク、横浜エアジン等)。同じ年74年に、アルファレコード村井邦彦プロデュースによる、吉田美奈子のアルバムにも参加。「MINAKO (75)」 「MINAKOⅡ LIVE (75)」 「FLAPPER (76)」「TWILIGHT ZONE (77)」等。 メンバーは松木恒秀、大村憲司、佐藤博、高水健司、村上秀一、浜口茂外也、他。
76年、深町純と のセッションが始まる。スリー・ディグリーズの日本録音に参加。77年には、深町純名義のライブアルバム「Triangle Session」でブレッカーブラザースと共演。メンバーは深町純、Randy Brecker、 Michael Brecker、 Barry Rogers、大村憲司、高水健司、Martin Willwebre、浜口 茂外也、ペッカー。同名義で、大阪フィルとのライブも神戸にて行う。
79年、佐藤允彦に誘われ、80年には佐藤允彦、日野元彦とも共演。またHelen Merrill、マーサ三宅の録音にも参加。同じ頃 「Medical Sugar Bank」(佐藤允彦バンド)の録音を行う。「MSB (80)」 メンバーは佐藤允彦、高水健司、山木秀夫、清水靖晃、穴井忠臣。
81年、富樫雅彦のアルバムに佐藤允彦と参加する。「The Ballad My Favorite(81)」 79年にピット・インで 「Medical Sugar Bank」のライブがあった時、渡辺香津美が見に来ていて、その事がきっかけで渡辺香津美グループに参加することになる。「Talk You All Tight(81年)」 「ガネシア(82年)」。81年にメンバーを渡辺香津美、高水健司、山木秀夫、清水靖晃、笹路正徳で全国ツアーを行う。82年、NYの「7th Avenue South」でもライブを行う。Miles Davis、Jaco Pastoriusも見に来ていた。
86年、井上陽水のツアーに参加する。
06年、寺尾聡の録音では、Herbie Hancockで来日していたドラマー、Vinnie Colaliutaと共演。
09年と13年には井山大今のアルバムをリリース。メンバーは井上鑑、山木秀夫、高水健司、今剛。現在もスタジオの仕事に加え、井上陽水、福山雅治のツアーにも同行。またBASS MAGAZINE四谷低音倶楽部、「低音夢緑」風景回顧録にて執筆中。
ー最初にご自身が参加されたアルバムで、想い入れのあるものは何でしょうか?
やはり東京に出て来て、一番最初のやつかな。1973年12月に演奏した五輪真弓のライブ、渋谷ジャンジャンのやつかな〜。他にもいろいろあって、しいて1枚と言ったらこれでしょう。僕が22才の時だし。若い人に聞いて欲しいのも、このアルバムかな。
ー次に当時の使用楽器をお聞き致します。また、今使用されている楽器についてもお聞かせ下さい
最初は推定、69年サンバーストのフェンダージャズベース 。次はナチュラルでメイプル指版の75年フェンダープレシジョンベース。また、アレンビックやギブソンリッパー、ESPも使っていた。フェンダーやギブソ ンのベースは美奈子のレコーディングで使っていましたよ。あと74~5年に、初期の頃の51年メイプルネックでオレンジ(Butterscotch Blonde)のフェンダープレシジョンベースを購入したんだけど、色が洋服に着いちゃう。だからそのベースは3ヶ月で売っちゃった。その頃はまだその ベースの価値なんて知らないし、今にしてみれば持っとけば良かったなぁ、とは思うんだけど(笑)。(ダイブツさん曰く、このプレシジョンベースが生まれた 年1951年は、高水健司他、岡沢章、富倉安生、小原礼等のベーシストが生まれた年。ベーシスト以外にも、松任谷正隆、鈴木茂、林立夫、浜口茂外也、等が 51年生まれの卯年との事でした。)
今使っているベースは最近買ったんだけど、62年のサンバーストのプレシジョン。色に拘ってないんだけど、良いのを選ぶと大体サンバーストになってしまうよね。派手な色、赤はあまり好きじゃないな。あとマッチングヘッドも、あまり好きじゃないな。それはアオジュンも言ってたなぁ。(青山純)
ーここからはチャック・レイニーについての質問です。ダイブツさんが初めて聴いたチャック・レイニーの音が入ったアルバムは、どのアルバムでしょうか?
最初は自信なかったんだけど、チャックのサイト(The Official Chuck Rainey Japan Website)を見て、やったぁーと思ったのよ。
これ多分知っている人、ファンでも少ないと思うの。俺、覚えてたもん(笑)。George Benson の「Goodies」(68年)。だけど大阪の実家にはもう無かった。このアルバムはその何年か前に聞いたMOTOWNのベースの音で、僕は同じ人だと 思っていたの。そしたらそれがチャック・レイニーと言う人で、その音が好きになったの。僕のエレキベースの音は、このアルバムの音なのよ。指で弾く音。 やっぱりジャズベースから先に入っているから、そのイメージなのね。他にも一杯あるんだけどね。
ーではその後チャック・レイニーが入っているアルバムを聴いていて、印象に残っているアルバムをお聞かせ下さい。
印象に残っていると言えばQuincyのアルバムかな〜。その頃のアルバム全部。「Smackwater Jack」(71年)と 「You’ve Got It Bad Girl」(73年)とか。それにアキラ (岡沢章)も挙げていたけど、このNancy Wilson「Mother’s Daughter」(76年)も良いよね。チャック・レイニーとスティーブ・ガット。チャックファンからすると、録音と共に音が変わってくるのね。昔の音 と全然違うし、こうやって進化もしているし、個性も失ってない。音も生き生きしているしね。あと、もちろんMarlena Shaw「Who Is This Bitch Anyway」(74年)も。もうこれは我々のバイブル的なアルバムだよね。
他にもA&MでTamiko Jones「I’ll Be Anything For You」(68年)とかも好きだったアルバムですよ。これチャック本人に聞いたら、覚えているかもよ。すごいチャック・レイニーっぽい演奏だし。タッチが 軟らかくて魅力的であり、それがあの弾き方だったんだなぁと思う。この頃はもう必死になってアルバムを探しまくったから。ジャズでもLarry CoryellとかRandy Breckerとかもね。。。だから僕の中ではMOTOWNレーベルのJames Jamerson、ATLANTICレーベルのChuck Rraineyって感じでしたね。
ーアキラ(岡沢章)さんが、「チャックの事はダイブツの方が詳しいよ」と仰ってましたが、その通りですね。次にダイブツさんはこれらのアルバムを聴いた時、チャック・レイニーの事をどのように思われましたか?
まず音色だよね。MOTOWNのBrennda Halloway の曲で、You’ve made me so very happyって曲を聞いてて、 MOTOWNのベースの音が何か郷愁みたいなサウンドを感じてね。これが好きだったの。それで2年後にGeorge Benson 「Goodies」でチャック・レイニーのベースの音を初めて聞くんだけど、「あ、やっぱりこの音だ」と思ったのね。その音って言うのは、ゴムまりが弾むような、力強くサスティーンを効かせるのではなく、ボーン、ボンボンボンと言うあの独特な感じ。ラインのコンソールの音では無く、ベースアンプのスピーカーを想像してしまうあの独特の音に惹かれたのね。あの音って言うのはミュートしているからで、それとフラット弦でフェンダーベースを弾いているからこそ出て来る音なんだけども、確かにチャック・レイニーだけじゃなくて、ソウルのベースの音ってほぼああ言う音でしょ。ああ言う音が根本的に好きなのね。シカゴソウルとか、The Chi-Litesだとかもそうだし、自分でもやっぱり根っからすきなのかな〜と思う。
ーチャック・レイニーについての想いが伝わって来ますね。ではチャックさんに一言、お願いします。
日本のたくさんのベーシストがあなたを尊敬してます。これからも元気でいて欲しいなあと思います。