Vol.03 松原秀樹さん 『チャックの音を初めて聴いたとき、「え!なんだ このゴムみたいなバウンスしているのは!」って思ったんです。』
第三回目のゲストは、目下大活躍中の松原秀樹さんをお迎えしました。
2014 4/8 @銀座エフ・ディ・エス
プロのベーシストになった頃の松原秀樹さんと、その後のキャリア。
1961年11月2日、大阪住吉区生まれ。1973年、小学校6年の時に「プリンアンドキャシーのテレビテレビ」(よみうりTV)のパクパクコンテストに出場し、初代チャンピオンになりレギュラーとなる。その事でジャニーズにスカウトされ、翌74年、中1の時に東京へ向かう。
76年、後に野村義男の「Goodbye」にも在籍する曽我泰久(ヤッチン。 現;曾我泰久)と「リトルギャング」でデビュー。シングル2枚をRCA から出す。『アイ・ラブ・ユー』『恋はチクチク』(プロデューサーは小杉理宇造)
その後メンバー2人を加え、「ギャングス」となり、ジャンケンで負けた事がベースを持つきっかけとなる。メンバーは同じく曽我泰久(g)、スクエアーに在籍する事となる長谷部徹(dr)、他。 役者志望だった松原氏はオーデションを受け、78年「ゆうひが丘の総理大臣」(日テレ)にレギュラー出演。中村雅俊とも交流する。
80年「ギャングス」にヴォーカルともう1人ギターを更に加え「ANKH」(アンク)と言うバンドを結成する。FOUR LIFE RECORDからシングル3枚とアルバム『First Wave』をリリースする。このアルバム制作時に鷺巣詩朗と出会う。
84年、鷺巣詩朗の誘いで「BLEND」のツアーに誘われる。このユニットのメンバーは「アリス」の矢沢透、後に八神順子の夫となるジョン・スタンレー、そして鷺巣詩朗の3人。これを機にベースでの仕事を決意。サポートミュージシャン、スタジオワークが始まる。
86年、同じ事務所のアレンジャー小林信吾により、中原メイコ『こわれたピアノ/アルバムMOODS(86年)収録』でベースを弾く。88年、芳野藤丸のバンド「AB’S 4」のアルバムに長谷部徹、小島良喜と参加。活動の場を広げる。
95年からは「オルケスタ・デ・ラ・ルス」のピアニスト塩谷哲の「SALT BAND」に参加。アルバムも数枚参加する。メンバーはドラムに沼沢尚、ギターは故 浅野祥之、パーカッションには大儀見元。02年にはライブアルバム 『LIVE LIVE LIVE』をこのメンバーでリリース。メンバーチェンジしながら、今でも活動を共にしている。
97年から06年にはスガシカオと「The Family Suger」に参加。07年には武道館でのライブDVD 『Shikao & The Family Suger〜FAN KEY PARADE 07〜in武道館』をリリース。メンバーは森俊之(kyb)、沼沢尚(dr)、間宮工(g)、大滝裕子、斉藤久美(cho)。
05年には「渡辺貞夫」のツアーにドラム石川雅治、ギター梶原順、キーボード小野塚晃、パーカッションはセネガルのンジャーセ・ニャンと共に参加する。
またこの頃になると、数々のアーティストのアルバムにも参加するようになる。
角松敏生
古内東子
シングライクトーキング
現在も自身がリーダーのバンド「C.C.KING」メンバーは森俊之(kyb) 田中義人(g) 玉田豊夢(dr)で活躍中。アルバム『C.C.KING』(12年)もリリース。
その他にも、メンバーを変えての「Super Salt Band」塩谷哲(kyb) 田中義人(g) 大儀見元(perc) 山木秀夫(dr) アルバム『Arrow of Time (13年)』を出す。
他にもヴォーカルはclassの岡崎公聡 ko (vo) 今剛(g) 小島良喜(kyb) 長谷川浩二(dr) susumu.k(g) とで、オフィシャルDVD『蜃気楼 / Brother!! 』(09年)をリリースしている。
サポートでは吉田拓郎;[武部聡(kyb) 鳥山雄二(g) 渡辺格(g) 故 宮田繁男(dr) カースケ河村智康(dr) ASA-CHANG(perc)]。 徳永英明;[渡嘉敷祐一(dr) 土方隆行(g) 坂本昌之(kyb)]。シングライクトーキング;[塩谷哲(kyb) 大儀見元(perc) 露崎春女(cho)] なども行っている。
最初にご自身が参加されたアルバムで、想い入れのあるものは何でしょうか? また若い人に聞いて貰いたいアルバムはありますか?
中原めいこ『MOODS 』(86年)ですね。僕が25才の時に録音したアルバムで、アレンジが小林信吾。これが想い入れのあるアルバムかな。他にも古内東子の『フツウのひと』(04年)も聞いて貰いたいアルバムですね。
当時の使用楽器をお聞かせ下さい。また今使用されている楽器についてもお聞かせ下さい。
最初に買ったのはGibsonの GRABBER (76年)。中学3年の頃『KISS』が流行っていたんで買いました(笑)。ピックアップがスライドするやつ。色は深いワインレッド。その後にフェンダー系もそろそろって事でまず、フェルナンデスのプレシジョン(サンバースト)を買いました。そのうち鷺巣さんの仕事をするようになった後の85~6年あたりで、66年のフェンダージャズベース(白/マッチングヘッド)を購入。これはかなり使いましたし、今でも使っています。今日持ってきたのはやはりチャック・レイニーってことなんで、今から4~5年前に買った66年のプレシジョン(白)も最近よく使っています。あとシングライクトーキングのツアーでは66年のムスタングベース(白)を使ってます(笑)。あと64年のジャズベース(サンバースト)も持っています。これは最近ピックアップが復活して来たので、使い初めています。
白い楽器をたくさんお持ちですね。では次に、初めて聴いたチャック・レイニーの音が入ったアルバムは、どのアルバムでしょうか?
自分の認識ではRichard Teeの『Stroki’n 』(78年)だと思うんですよね。リチャード・ティーのファーストアルバムで、スティーブ・ガットとチャック・レイニーです。それを聞くまでは割とソリッドなマーカス・ミラーだったり、そう言うベースが主流だったんですが「え!なんだ このなんかゴムみたいなバウンスしているのは!」って思ったんです。このあとマリーナ・ショウを教えて貰ったりして、聞くんですけど。
その後、チャック・レイニー入っているアルバムを聴いていて、印象に残っているアルバムは何ですか?
その教えて貰ったMarlena Shaw『Who is This Bitch,Anyway』(74年)とか、Quincy Jones『Mellow Madness』(75年)のベース、大好きですねぇ。あとはスティーリー・ダンのアルバムですね。Steely Dan『The Royal Scam』(76年)。Marvin Gaye『I Want You』(76年)しかりですね。
その後、松原さんは、これらのアルバムを聴いた時、チャックさんの事をどのように思われましたか?
やっぱり僕が一番好きなとこは、音がバウンスする感じですよね。リズムが独特の感じで、、、まぁ〜あと、音が良いですよね。それに太い!!!(笑) バウンスって、、、跳ねるって言うか、ベターっとしていない感じ。あとフレーズが独特だったのにビックリしました。ハーモニックですよね。だから和音を多様したり、ダブルストップ(チャック・レイニーの有名なフレーズ。和音を用いた奏法)って事だったり。一番最初に2-5の進行でダブルストップの弾き方を周りの人に教えて貰った時、「何!このフレーズ!って思って、なんて格好良いんだって思った(笑)。
ではチャックさんに一言、お願いします。
これからもお身体を大事にして頂き、なるべく長くナイスなグルーヴを聞かせて頂きたいなぁと思います。健康あっての事なので、身体をくれぐれもお大事にして下さい。
最後にチャック・レイニーに向けて、メッセージをお願いします。